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子どもには、父親の“背中”でなく“正面”を見せたい――髙木ビル3代目の子育て術

男親として、子どもには“背中”でなく“正面”を見せたい

佐藤 茂(タメニー株式会社(旧株式会社パートナーエージェント) 代表取締役社長。以下、佐藤)

佐藤

入社後は不動産の仲介営業として、悩む時期もあったものの、社内でトップクラスの営業成績を叩き出して活躍されていたと伺いました。

それにしても、実の息子に「戦力にならない」とは厳しいお父さまですよね。どんな方なのでしょうか。

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髙木

父は2代目で、祖父が10年かけて1本目のビルを建てたころ、髙木ビルの経営に参加するようになったそうです。

不動産業というのはスパンの長い仕事なんです。いろいろな土地を整理してビルの建設用地を手配する期間が必要ですから。

祖父や父が長い時間をかけてビルを建てる過程を、僕はずっと聞かされてきました。バブル期にはどんどんビルが建てて儲ける人がたくさんいましたが、父はそれまでと変わらず、じっくりビル建設に取り組んでいました。

自分の息子であろうと甘やかさない、長く積み上げてきた堅牢な信念と守るべきものがその時の言葉に表れたのだと思います。その言葉のおかげで、僕は本当の意味で目が覚め、今があるのだと思います。

森本

お父さまは堅実な方なのですね。

髙木

父の堅実な仕事のおかげで、今でもこうして会社が存続しています。十分な時間をかけて、じっくりと1本のビルを建てる。そういう考え方は今の時代も必要だと思っています。祖父や父の仕事への姿勢が、僕の中にも脈々と受け継がれているように感じます。

佐藤

髙木様にもお子さまがいらっしゃるそうですが、子どもに対してどう向き合っていますか?

髙木

僕自身、ビルを建てるときには子どもや孫の顔を想像するようにしています。

本社を構える虎の門髙木ビルを立て替えたときには、「100年価値を継続できるビル」というコンセプトで設計や耐震性、設備などを考えました。「50年後や100年後に改修するときにはどうするべきか」と考えながら構造や材質を決めていきました。100年後には僕自身は間違いなく生きていませんし、息子もいないかもしれない。だから孫の顔を想像しながら仕事に取り組んでいます。

今になって考えると、祖父や父はそれぞれのやり方で、仕事への姿勢を僕に見せてくれていたと思います。けれど当時は「男は黙って働いて、子どもが寝静まってから家に帰ってくる」という時代でした。父が僕に仕事場を見せることはほとんどありませんでした。

情報に溢れた今の時代だからこそ、もっと子どもに僕の仕事場を生で見てほしいと思っています。子どもに仕事の話をたくさんしますし、建築現場に連れて行くこともあります。それが子どもにとって大切な生きた経験になると思うんです。

子育てに参加するということは、一緒に遊んだり育児・家事を分担することだけではないと思います。「背中を見せる」のではなく生き生きとした「正面を見せる」という感覚で、男親の姿を見せるのも子育てだと考えています。

子どもには無限の可能性がある。いろんな可能性にチャレンジしてほしい

髙木

僕自身は、祖父から「お前は跡取りなんだ」と言い聞かせられ、大学に入って音楽に出会うまで、いろいろな可能性に目を向けない生き方をしていました。ですから自分の経験を反面教師にして、子どもにはいろんな可能性にチャレンジできる環境を整えてあげたい。子どもには「お前は将来、跡を継いで不動産業で働け」とは一切言ってないです。

実は、僕もようやく自分の可能性を広げられるようになってきたんです。成長型フリーワーキングオフィス「BIRTH KANDA」、室内マイクロドローンサーキット「空人(SORAJIN)DRONE FIELD」、コミュニケーション特化のシェアセッションスペース「BIRTH LAB」など、従来の不動産会社、ビル経営会社の枠組みを超えるプロジェクトをここ1~2年で実現できるようになってきました。まだ発表していませんが、他にも「僕は不動産屋なんだろうか?」と疑ってしまうほど、異分野のプロジェクトをいくつも走らせています。

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髙木

僕の子どもも“跡取り”ではありますが、「どうせ、不動産会社の跡を継ぐんだ」と小さなころの僕のように自分の枠を作ってしまわなければ、子どもには無限の可能性があると思っています。

この前も、幼稚園で「将来、どんな職業になりたいか」と発表する機会があり、娘は「パン屋さんになりたい」と言ったんです。「パン屋になりたいなんて、1度も聞いたことがないな」とも思ったんですけど(笑)、その時、「パン屋になりたいのか。それなら『BIRTH BREAD』というパン屋を始めるのもいいかもな。いけるぞ!」とも思ったんです(笑)。

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